ため息までかわいくなるキャンディと未破裂脳動脈瘤の母
〜独身一人娘を添えて〜
※この記録は、未破裂脳動脈瘤の手術をする母をもつ、独身一人娘の視点のお話です。未破裂脳動脈瘤をかかえた本人のものではありません。
いま、わたしは手術の家族待合室にいる。
13:25頃に病棟前からストレッチャーにのった母を見送り、今は13:42である。
見送ってほっとしたのか、お手洗いに向かった。
平常心で送り出したつもりが、たぶんそうじゃなかったらしく、トイレの鍵を閉め忘れた。
ロングワンピースをたくしあげて、まさに拭くぞというときに、ドアがひらいてとても驚いた。
たぶん相手はもっと驚いた。
慌てふためく足音が、ばたばたと聞こえてきた。
アニメの効果音か何かかな?と、見られた側なのに、ぼんやりと思った。見せてごめんね。
おほほ。
…今頃は、麻酔が点滴をつたっている頃だろうか?
手術中に破裂したらどうしよう?
目が覚めなかったらどうしよう?
全身麻酔の後って、せん妄もあり得る?
ユノがぁ!ユノがぁ!って騒いでいたらどうしよう?
(ユノとは、東方神起のユンホのことであり、母の至高の推しである。たぶん、娘より生きがいである。)
手術の行方を考えはじめても、わたしのメンタルに良いことはないので、神様に祈りながら、無事を願うことしかできない。
手術は3時間。
麻酔が切れるのも加味してさらに1時間半。
そもそも、12時から病院にいるので、ずっと背筋をのばしてはらはらするには、長いと思う。
できることがないので、心に浮かぶことをだらだら書いて気を紛らわせるしかない。
ちなみに、家族待合室には、わたしの他に2人いて、なんとなく心強い。
いまこの瞬間に、家族が手術中という、なんともいえない気持ちをそれぞれ抱えているのだ。
わたしにとっての母は、唯一の肉親である。
母一人娘一人であり、現在わたしにパートナーの影はない。
だからこそ、今回の入院や手術は、身内が少ないものには考えさせられることの連続だった。
身元保証人欄が2人必要だという、メンタルを削る枠の存在感は尋常ではない。
なんだろう…待合室の椅子の座り心地がなんともいえない。
すこし動くだけで、ぎしぎしぃ!ぎしぎしいぃ!!と、音をたてる。
ことのはじまりは、7月だった。
母が勤める職場の近くに行く用事があったため、仕事終わりに合流しようよと持ちかけたのだ。
そうしたら、どうだ。
早退しているではないか。
なんでも、仕事中に頭がなんとなーく痛くなったという。いつもならやり過ごす母だが、その日は早退したい気持ちが高まっていたらしい。
なんでも、苦手な上司がぶいぶい言わせている日だったという。
頭がつきんと痛んでも、通常は適当な薬を飲んでやり過ごす母。それを、早退したいと思わせるほど苦手な上司。
ありがとう、苦手な上司。
あなたのおかげで、早期発見に至りましたよ。
母は、早退するからには、病院にかかろうと行った先で、脳の血管に瘤があるから紹介状を書くといわれたそうだ。
なるほどなるほど。
…本当にありがとう、嫌な上司!
紹介状をもらってからは、あっという間だった。8月の頭に数日ほど検査入院し、8月の終わりには、もう手術なのだから。
母は一人で病院へ行き、一人で検査入院の日取りを決めてきた。そして、早々に、限度額認定証の手続きを行っていた。
素早いな。
そして、賢い。
今回お世話になるのは、市内でも大きな大学病院である。
第7派のコロナ禍での手術…不安はいっぱいだった。
なにせ、わたしの職場もまた、同じ市内の病院なのだから。
コロナ禍の院内、職員の疲弊、医師たちのオンコール…手術室内のあれこれ。知りすぎていて、色々考えてしまう。
自分の勤める病院に入院してほしい気持ちと、もし自分のところで万が一があれば、わたしは職を失うだろうという気持ちのせめぎ合い。
なにかあれば、今の病院で働き続けるメンタルは…無い。
母は、いざを考えて、きっと一人で紹介状を持って大学病院へ行ったのだ。
…待合室にいた、勝手に戦友気分だった二人が、それぞれの電話を受けて消えた。
いまはコロナ禍で、手術立会も少ないみたいだ。立会にくるほどの大切な家族は、ちゃんと無事だっただろうか?
ため息がでる。
わたしもまた、自身の勤める病院のために、コロナにかからないよう最大限の注意をはらっている。
家と職場の往復以外に、こうしてどこかに居るのは本当に久しぶりのことだ。
もはや集団免疫の方が早いのでは?と思うようなコロナの第7波は、まだわたしにまで届いていない。
まわりがどれだけ倒れても、わたしはかからずに今日まで来た。
やはり、狂おしいほどのアルコール消毒と、毎日飲んでいるR-1のおかげかな?と信じたいし、かかるときは、月末月初を外してほしい。
わたしはそろそろ、R-1貧乏になると思う。
今はだめだ。月末が近い。
喉を潤すため、こまめに水分をとり、飴をなめる。
カンロから最近でた、コンビニで見かける、
「まるで魔法のようにリセットするため息までかわいくなるキャンディ」
この商品名をつけた人に、心からありがとうを伝えたい。
ため息がでる。
とにかく、すきあらばため息がでる。
沈みがちな気持ちに、ただの飴のパッケージが優しく寄り添う。
個包装ならもっとよかった。
食べる前に、アルコール消毒。
今日、この流れを何度繰り返すかわからないけど、とにかくわたしのため息はかわいく仕上がっているはずだ。
いまは、14:42である。
手術がはじまって、1時間くらいだろうか?
悠久の時が流れたように感じるけど、普段家でごろごろしている時ならあっという間の1時間。
たくさんの人が、待合室の前を行き交うけれど、この家族待合室にいるのは、わたしだけ。
心細さの極み。
極みすぎて、涙がでそうだけど、頑張っているのは医療従事者であって、わたしは信じて待つのみである。
自分の不安で泣くのは、たいへんよろしくない。
がんばれ!がんばれ!
未破裂脳動脈瘤は、破裂すると3分の1が死に、3分の1が重度の後遺症が残るらしい。
破裂する前に見つかってよかったなと思うけど、医師のオンコールでよく見る術式が、なんとなくそわそわさせる。
ちなみに、母の未破裂脳動脈瘤に対するアプローチは、開頭手術ではなく、股からカテーテルを通し、ステント支援下のコイル塞栓術である。
よくみるやつだ。点数が高いやつ。
お餅が焼けて、ぷっくり膨れるみたいに、絵に描いたような丸にはなっていない瘤だった。
大きな瘤から、小さい瘤がでていて、均等に膨れていない。
小さい瘤のほうが、破れやすそうにみえた。
手術入院は8日ほど。
おそろしいのは、母は手術入院当日まで、自分の病名も、手術の術名もしっかりわかっていなかったということ。
母の古くからの友人に明治安田生命の人がいるが、本当に助けられた。年齢を重ねるほどにありがたみが増す、保険。
年末調整でも、保険のはがきが無い職員なんてみかけない。医療従事者であればあるほど、保険の重要性も肌で感じる。
わたしも今回のことで、保険をしっかり見直そうと思った。
なにせ、非日常すぎて、平常心のつもりが、ぽんこつ運転なのだ。
必要なことを聞いたり、質問したり…そういう当たり前にしなければならないことが、頭からすっぽり抜けてしまう。
友人に明治安田生命の人がいたこと、わたしとも連絡をとれることは、とても心強かった。
本当に不思議なことだけど、やはり検査や入院、手術というものは、本人は気丈なつもりでも、実際はあわあわしていて、色々なことが抜け落ちる。
わたしは検査入院の当日と退院日、手術入院当日に同席しているが、わたしもまたそわそわしていて、おそろしいほどのぽんこつだった。
あわてんぼうのサンタクロースは微笑ましいが、家族の命がかかっている場面でのぽんこつはギルティである。
破裂したら、開頭手術だろうから、カテーテルでよかったと思う。
執刀医がすこぶる若くみえるけれども。主治医が、おそらく後期研修医だけれども。
開頭手術のためには、髪を剃る必要がある。
母は髪を大切にしているが、なにせたんぽぽの綿毛のようにふわふわなのだ。
剃ったら、たぶん焼け野原になって、永遠に戻ってこない。アイルビーバックと言ってくれそうにない。
命の問題だけど、開頭かカテーテルか…母の関心はひたすらに髪の毛にあった。
かわりに、カテーテルは下の毛を半分剃られる。
検査入院から帰宅した母が、ほら!みて!と、見せてきた。驚きの真っ二つだったし、できれば見たくなかった。
検査入院のときから、また日にちがたっているから、今回の手術まえに、また剃られただろう。
病院食の写真を送ってくれるが、どれもすごくおいしそうにみえる。
本当に、病院に勤めながら、わたしは現場のことがあまりわかっていないなと思った。
今日手術にのぞんでいる母は、心配症の娘とはちがい、「新人でもベテランでも、成功するときもあれば失敗するときもある」と医師に身を委ねている。
ため息がでちゃう。
わたしはもとから心配症だし、大切な人の手術なんて、どきどきで弾け飛びそう。
入院中だって、ちゃんと水分とっているかな?とか、夜中にこむら返り起こしてないかな?とか、思う。
いま、15:43になった。
どうか順調にすすんでいてほしい。
今朝、まだ家で支度をしている時に、母ととりとめのないメールを続けていた。
わたしは朝ご飯の準備をしていたので、
『わたしはこれから、あつあつにしすぎた市販のワッフルに、りんごバターをしこたま塗る』
『なんてことだ!ワッフルの穴にりんごバターが次々おちて、全然塗れない』
とメールを連投したら、すれ違いで母から、
『99%大丈夫だと思うけど、もしもの時は生命延長措置は拒否する!そして、色々ありがとう。あなたが娘で本当に幸せでした。』
と、メールが来た。
食べていたワッフルの穴からりんごバターと涙がぽろぽろこぼれて、なにがなんだかわからなくなった。
温度差すごくない?
急じゃない?ねぇ。
神様、母の手術が無事におわりますように。
ご先祖様、どうか母がそちらに行かないようガードして。
たくさんの人の日常が目の前を通り過ぎていくなか、わたしはこの待合室で非日常にのたうち回っている。
手術が終わりましたの電話を待つ、この時間があまりに長い。いま、16:06である。
書くことで気持ちがマシになった。
すっかりこのブログの存在を忘れていて、久しぶりのログインは困難を極めたけれども。
順調なら、あと30分ほどで連絡がくるはずなのだ。このまま書き続けたら充電が切れてしまうので、このあたりで区切ろう。
もし、ながなが読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。
手術の成功と、術後の経過良好を願ってほしい。
はぁ。
ため息がでる。
でも、このため息はかわいいはずだ。
【追記】
17:30
病棟の看護師さんから、戻るよう連絡をもらう。手術がおわり、一安心。
17:46
執刀してくれた先生から、無事手術が終わった旨を直接きくことができて緊張の糸がとけた。
執刀してくれた先生、担当してくれるチームの医療従事者すべてに心からのお礼を。
手術は終わった。
けれど、いびつな小さな瘤には、完全にコイルを充填できなかったそうだ。
そして、術後48時間は特に注意が必要らしい。
今夜は絶対に寝返りをうってはならないのだが、母は仰向けで眠ることができない。
本当の山場は今夜であり、わたしもまたいつでも電話に気付けるよう、まだまだ緊張は続く。
…今回のことを通して、わたしは明日から、また自分の仕事を頑張ろうと思った。今までより、もっとずっと医療従事者を支えるバックオフィスとして精進していきたい。